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    <title>プロ野球　私の記憶</title>
    <description>野球好きの私が、いつのころからかプロ野球を見なくなり、たまに見ても、現役で活躍している選手よりも監督やコーチや解説者の方が誰だかわかるような年になってきた今日このごろ。その昔、野球と格闘し私を興奮させてきたあの選手たちを今でも思い出します。そして、若かったあの時の興奮の記憶は、５０代の半ばになった今でも時々私の脳裏をかすめます。このブログは、そんな感情を共有できる私と同年代のおやじたち、また自分自身の備忘録として綴っていきたいと思います。</description>
    <link>https://mymemory.bangofan.com/</link>
    <language>ja</language>
    <copyright>Copyright (C) NINJATOOLS ALL RIGHTS RESERVED.</copyright>

    <item>
      <title>石橋を３度叩いて渡った監督　川上哲治</title>
      <description>&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;石橋をたたいても渡らなかったら、永遠に結論はを出せないので、あえて３度叩いて渡ったと言わせてもらうのが、この方にふさわしいと思う。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;２０１３年１０月２８日に、元巨人軍監督の川上哲治さんが逝去されました。９３才という年齢で、亡くなったというからには人生を全うしての死であったと想像させていただきます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;私は、昭和３２年生まれで、この川上哲治氏の現役時代というのは記憶になくて、Ｖ９時代を突っ走っていた読売巨人の監督というのが、一番古い記憶です。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;厳しかったというエピソードで私が覚えているのが、黒江の１試合エラー２つの交代です。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;テレビ観戦時の記憶のまま書きます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;アナ「おっと、黒江がファンブルしました。」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;ランナーで塁上が埋まる。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;タイムがかかり、内野手がピッチャーズマウンドに集まっている。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;エラーをした黒江が渋い顔をしている。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;アナ「黒江は、今日２つ目のエラーですね。」　　&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;アナ「ひょっとして、川上監督が、、、」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;アナ「あー、ベンチから出てきましたね。」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;アナ「黒江が交代のようです。」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;こんな感じだったと思う。エラーを２つしたら交代という、石橋を３回叩いて渡った例である。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;特にＶ９時代は、王・長嶋という主軸バッターの存在があまりにも大きかったので、打撃中心のチームの記憶があるが、実は、守備に重点をおいたチームだったということを忘れてはならない。特に、外野手の高田・柴田・末次、内野二遊間の黒江・土井は鉄壁であった。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;こんな厳しさをもつ川上氏であるが、後年、選手たちには国債を勧めていたという話を聞いたことがある。今は、現役を継続し、生活を維持できているけれども、その後のことはわからない。そのような時のため、、、というような話だったと私の記憶にはある。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;監督を引退した後は、少年野球教室とかで野球少年を育てることに一役買っていたこともあった。その後、ＮＨＫの野球解説もやるようになっていた。川上氏の解説を揶揄した芸人のこんなネタがあった。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;アナ「ノーアウトランナー２塁・３塁です。川上さん、どうですか？」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;川上「あー、これはチャンスですね。」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;勝つために当たり前のことをしてきた方の当たり前の解説といったところでしょうか？&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;私が、この川上氏の最後のユニホーム姿を見たのは、おそらく巨人のＯＢ戦だったと思う。バッターで出てきて、ピッチャーがボールを投げた瞬間に、左バッターボックス内をピッチャー方向へ３歩進んで打つという打ち方をしていた。「１」で右足「２」で左足「３」で右足で出した瞬間にミートするという打ち方だ。その時の川上氏の年齢に記憶はないが、かなり高齢だったと思う。現役時代のバッティングを見たことのない私だったが、この時のバッティングを見て、&lt;strong&gt;打撃の神様&lt;/strong&gt;の異名に納得がいった。&lt;/span&gt;</description> 
      <link>https://mymemory.bangofan.com/%E7%9B%A3%E7%9D%A3/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E3%82%92%EF%BC%93%E5%9B%9E%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%A6%E6%B8%A1%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%80%80%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E5%93%B2%E6%B2%BB</link> 
    </item>
    <item>
      <title>ライトの守備№１は、この人をおいていない　末次利光</title>
      <description>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;末次を語る時に、忘れてはならないのはその守備である。打球が上がった時には、もうその落下地点に入っている。また、そのキャッチングと外野からの返球は、誰と比較しても右に出るものはいない。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;&lt;strong&gt;難しい打球を簡単に処理してしまう&lt;/strong&gt;と言った方がいいかもしれない。簡単な打球をさも難しそうに捕球し、ファインプレーであるように見せかけているのと正反対だ。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;こんな末次だけど、いかにも地味なイメージで現役時代を包んでいた。国松の後を引き継いだＶ９の５番バッターだけど、当初は、キャッチャーの森昌彦などと比較されると器が小さい感じがしたものだった。&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;彼が一躍脚光を浴びたのが、長嶋巨人のＶ１のシーズンに、阪神戦で魅せた逆転さよなら満塁ホームランだろう。この時の野球放送は、９時半の延長を終わっていて、テレビ放送終了後、私ははラジオで聞いたのを記憶している。なんせ、テレビで見ていて満塁の場面で放送が終了してしまったのだから、不完全燃焼である。その当時のラジオの実況は、「ピッチャー投げた。打ったー　さよならホームラーン」というような感じで、打った瞬間にホームランとわかる打球だった。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;その日のプロ野球ニュースでは、ベンチから小躍りしながら出てくる長嶋監督の様子が映っていた。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;残念なのは、その翌年に練習中に打球を目に当てて、しばらく休養を余儀なくされたことだろう。オープン戦の前だったから「これからシーズンという時に、なんてことだ。」と怒りの談話を聞いた記憶がある。また、因縁めいたことに、打球をぶつけた選手は同じ守備を守る柳田だった。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;末次は、長期欠場した、代わって柳田が５番に座って大活躍をし、長嶋監督から史上最強の５番打者の異名をもらった。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;その年、シーズンも終わりにかけて、怪我が治り復活してきた。ライトの守備位置についた末次は、メガネをかけていた。やはり視力が落ちたのだろう。試合後の談話では、「足が筋肉疲労でパンパンに張ったよ。」と言っていた。末次ほどの落ち着いて見える選手も、その後の視力が、野球人として通用するかしないかが、気になって仕方がなかったのだろう。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;私の記憶に残っている試合に、長嶋の引退試合の時の末次がいる。最終回だったと思う。中日の選手が外野へ打球を上げ、ひょっとしてホームランかな、と思われた飛球を末次が、ひょこひょこひょこと外野フェンス前を横切ったかと思うと、グラブに収めてしまうのである。いともたやすくである。末次は、イージーフライにしてしまうのである。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;野球選手にとって、かけがえのない視力、、、野球を続けたい、、、でも、叶わなかった。末次は、その年バットをおいた。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;末次の名プレーを私は忘れない。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</description> 
      <link>https://mymemory.bangofan.com/i.%E5%8F%B3%E7%BF%BC%E6%89%8B/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%81%AE%E5%AE%88%E5%82%99%E2%84%96%EF%BC%91%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%93%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%82%92%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%80%E6%9C%AB%E6%AC%A1%E5%88%A9%E5%85%89</link> 
    </item>
    <item>
      <title>スライダーだけ待ってればよいという信念のもとにホームランを打った山本浩二</title>
      <description>&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;「プロ野球のバッターは、速い玉だけならば、いつかは打つものさ。」と、誰かが言っていたのを聞いたことがある。では、変化球はどうなんだろう？　変化球だけならば、いつかは打つものさとは、絶対にいえないだろう。変化球の方が種類が多いのは当然だからだ。では、スライダーだけを待っていればよいという場面で、スライダーをホームランした山本浩二はすごくないのか？&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;いきなり、こんな書き出しになってしまったが、私がこの山本浩二のことを思い出す時には、かならずこの場面が頭によぎる。それは、１９８６年の西武対広島の日本シリーズの１戦目のこと。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;広島球場だったと思うが、確か西武が２対０でリードしたまま、９回の広島の攻撃を迎えた時だった。これまで、エースの東尾に０封されていた広島打線に火がついた。３番小早川がライトスタンドへホームランを打ったのである。だが、まだ１点ある。あとを抑えていけば西武は勝てる。そして、打席に立ったのが山本浩二である。４番打者、ホームランバッターである。彼の打つ時の構え方は、打つタイミングを計っているかのようにバットを揺さぶる。さあ、打ってやるぞと言わんばかりに見える。そして、東尾の外角へ逃げるスライダーをライトスタンドへ叩き込むのである。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;打った後の山本浩二の談話は、「あのケースはスライダーしかないと思っていた。」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;さすが、プロの一言である。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;こんなスーパースターの山本浩二だが、笑えるエピソードを２つ紹介しよう。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;まずは、珍プレー・好プレーによく出てくるセンターフライのヘディングである。この試合を私は生放送で見ていた。巨人対広島の試合である。中畑の打った打球がフラッフラッっとセンターに飛んでいく。特になんてことはないフライである。取るのかと思いきや、なんかボールが勢いよく跳ね返ってとんでもない方向にボールが逃げて行った。何が起こったのかわからなかった。スロービデオを見ながら、解説者の広岡達朗氏はこう言っていた。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;「これは、山本浩二はボールを頭に当てていますよ。こりゃ穴があったら入りたいぐらいでしょうな。」フライをヘディングした選手は、山本浩二だけでなく宇野勝・駒田徳広・ポンセ等々いらっしゃるようですが、生放送で見ていた山本浩二の印象はでかかった。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;もう一つは、確か出身大学リーグ対抗のプロ野球のＯＢ戦だったと記憶している。田淵と山本浩二が同一チームにいたから、六大学リーグＶＳ東都大学リーグだと思う。ことが起きたのが、田淵が一塁ランナーにいて、山本浩二がバッターの時である。ピッチャーが投球動作に入った瞬間、田淵が盗塁したのである。あの足が遅いとされている田淵がである。山本浩二は空振り。キャッチャーから返球がいき、２塁の数メートル手前で、田淵は余裕のアウト。田淵にマイクを向けると、「ヒット＆ランのサインが出てたから走ったのに、山本浩二がわざと空振りしやがった。」爆笑である。&lt;/span&gt;</description> 
      <link>https://mymemory.bangofan.com/h.%E4%B8%AD%E5%A0%85%E6%89%8B/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%81%A0%E3%81%91%E5%BE%85%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%8C%E3%81%B0%E3%82%88%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E4%BF%A1%E5%BF%B5%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%A8%E3%81%AB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0</link> 
    </item>
    <item>
      <title>第一印象はフランキー堺　広角打法・安打製造機の張本勲</title>
      <description>&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;私が、張本勲を初めて&lt;strong&gt;じっくり&lt;/strong&gt;と見たのは、長嶋茂雄の巨人軍監督就任２年目である。&lt;strong&gt;じっくり&lt;/strong&gt;とと言っているのは、張本が以前入団していた東映フライヤーズ（現日本ハムファイターズ）は、パ・リーグで当時はテレビ中継がほとんどなく、あったとしてもスポーツニュースの片隅で試合結果が報告されるぐらいだったからである。そして、その試合結果を放送する数分の中では、たとえ大打者ではあっても、記憶に残ることはあまりなかったのである。当時はまさに巨人の独壇場である。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;確か、日曜日の午前中に放送されていたニッテレのミユキ野球教室で「長嶋監督の下で王(ワン)ちゃんの三冠王の手助けをしたい。」と話していたと記憶している。父はこの番組をよく見ていて、この時は母もいっしょにみ見ていた。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;「張本ってフランキー堺に似ているね？」（私）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;「え？ああ、そうか？」（父）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;父はフランキー堺を知らないのかもしれない。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;「長嶋に似ているよ。」（母）・・・　どこが似ているんだ。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;と、こんな会話が繰り広げられていた。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;正直に言うと、読売ジャイアンツが最下位だった前年のプロ野球を、私はほとんどテレビ観戦をすることがなかった。や、プロ野球に限らず、テレビそのものをほとんど見ていなかったのだ。なぜかわからないがこの年は見ていなかった。よって、長嶋巨人が最下位になったことはわかってはいても、巨人ファンの胸に秘めた悔しさは味わっていなかった。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;そこへきての張本のトレードである。見るからにホームランを打ちそうな、ヒットを量産しそうなバッターである。加えて、前年の不調から目覚めたＤ．ジョンソンもいる。巨人の打撃は大丈夫そうだな。でも、ピッチャーは？と思ったのは私だけではないだろう。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;ペナントレースが始まると、予想通り打撃部門は大活躍、確か夏前ぐらいまでは、この時の１番バッターから６番バッターまでが、３割バッターだったのを記憶している。まさに、張本効果である。通常は、３番張本・４番王であったが、時々、３番王・４番張本にスターティングラインナップが変更されることがあった。王さん自身は、長年、&lt;strong&gt;３番ファースト王&lt;/strong&gt;で戦ってきたので、３番の方が慣れているし、必ず１回の表か裏に打席が回ってくるので、心構えができる、というようなことを言っていた。しかし、張本にしてみれば、そうはいかない。王さんの三冠王を手助けするために、王さんの前に塁上にランナーとしていなければならないからである。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;そして、この年のペナントレースは、巨人のブッチギリの中で幕を落としていく。シーズン中、１４連勝・１３連勝を記録したのもこの年だ。張本様様である。残念なのは、シーズン後半になって、首位打者を争っていたのだが、中日の矢沢に奪われたことだ。この時の首位打者と準首位打者の記録の僅差は、今も記録となっているらしい。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;かくて、阪急との日本シリーズになっていく。しかし、張本はついていなかった。いい当たりの打球が、３回も４回も阪急の野手の正面をつくのである。「こんな３回も４回も馬鹿な話はない！」といって塩を体に振りまいた。３連敗した。しかし、その後３連勝した。７対０から逆転もした。でも、シリーズ制覇はできなかった。そして、翌年もペナントは勝ち取れたが、シリーズは阪急が持って行った。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;２年後、張本はロッテへ移籍される。そして、あの大記録の３０００本安打を達成する。張本自身は、終始、巨人にあこがれていた。そして、そのあこがれの巨人に入団し貢献した。シリーズ制覇は叶わなかった。でも、もう少し、巨人にいられれば、そのあこがれの球団で３０００本安打の記録を飾れた。巨人のユニホームを着て、インタビューに答える張本の姿を見ることができた。それが一番残念に思う。&lt;/span&gt;</description> 
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    </item>
    <item>
      <title>初めて見たホームスチールは黒江透修</title>
      <description>&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;ホームスチールとは、自殺に等しい行為である。なんせ、２盗や３盗と違い、ボールが向かっていく方向へ走っていってタッチされに行くようなものであるのだから。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;そんなホームスチールをテレビで初めて見たのが、この黒江だった。体格はけっしてスマートとはいえず、どちらかというと、ずんぐりむっくりといった方がふさわしく、とても足が速いとは思えない。そんな彼が、サードランナーにいた。ピッチャーが投球動作に入った瞬間に、走り出し、ホームを陥れた。ピッチャーにとっては、あまりランナーが見えてなかった時で、キャッチャーがボールを落としたようだった。セーフ。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;その時の解説者は、「ピッチャーが投げようとした瞬間に、するするっと出ていきましたね。」と言ったのを覚えている。確かに、この&lt;strong&gt;するする&lt;/strong&gt;っというのが大事で、&lt;strong&gt;たんたん&lt;/strong&gt;や&lt;strong&gt;ざざざ&lt;/strong&gt;では、ばれてしまう。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;黒江の足の速さをめぐるエピソードとしては、ランナー追い越しというのもある。テレビ中継中だったのだが、このシーンは放映されていなかった。というよりも、当時は、今のようにたくさんのテレビカメラがあったわけではないので、カメラに収めることができなかったといった方がふさわしいかもしれない。２塁を回って遊撃手付近まで来たときに、前のランナーを追い越したようだった。テレビに映ったのは、相手キャッチャーが黒江の走っている方向に向かって指を指し、主審にアピールをしているところだった。その後、黒江はアウトを宣告されてしまった。黒江は、主審の方に来て抗議をしだした。私の記憶にある彼の講義内容は「前のランナーを押しただけだ。押したから、抜いたように見えたんだ。」であったと思う。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;１９６４年に読売ジャイアンツに入団して、１９７４年までいたのだから、Ｖ９時代の功労者といってもいいと思われるのだが、選手としての最後は、森昌彦といっしょに読売ジャイアンツをおわれるように去って行った感じだった。あの華やかな長嶋茂雄選手の引退試合とは裏腹に、、、&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;後年、黒江は、様々なチームのコーチや二軍監督となって、優勝に貢献していた。初めのころこそ、読売ジャイアンツでコーチなどを務めていたが、その後、西武のコーチなどを務めるようになる。そして、ここには何か因縁めいたものを感じるのは私だけではないだろう。当時、読売ジャイアンツを日本シリーズでたたけるパ・リーグの球団は、西武ライオンズしかいなかった。広岡監督率いる西武は、森昌彦そしてこの黒江透修をコーチとして招き入れているのである。広岡監督も含めこの３人はいうなれば、読売ジャイアンツを追われた名選手といわれている。追われた人たちから見た読売ジャイアンツは、叩いてこそ満足のいくものであるから。&lt;/span&gt;</description> 
      <link>https://mymemory.bangofan.com/f.%E9%81%8A%E6%92%83%E6%89%8B%E7%B7%A8/%E5%88%9D%E3%82%81%E3%81%A6%E8%A6%8B%E3%81%9F%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AF%E9%BB%92%E6%B1%9F%E9%80%8F%E4%BF%AE</link> 
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    <item>
      <title>誰もが泣いた長嶋茂雄の引退セレモニー</title>
      <description>&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;もし、プロ野球選手ひとりだけの話で２時間のテレビ番組を作成し、見る人を最後まで飽きさせない人がいるとしたらこの人をおいてないだろう。現役選手時代のその少なくないエピソードは、今も思い出すだけで笑みがこぼれる。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;私は、小学校時代からプロ野球を見始めていたが、見始めるきっかけになったのが、単に父親が見ていたからということに過ぎない。当時、テレビなどというのは、一家に１台しかないのが普通だから、家族で見たい番組が重なると、じゃんけんをしたり、予約表を作ったりして決めていたものだ。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;そんな中で、父がチャンネルを握った日、私は、父の横に座って野球を見ていた。見ていたというよりは、ルールも知らないのだから、眺めていたといった方がいいかもしれない。人間、おかしなもので、分からないなら分からないなりに、理解しようと思うらしい。あそこ（ショートの位置）にいる人は、さっきバットを持って立っていた人だから、順番にふたつのチームが、打ったり、投げたりするんだなというように、、、最初はそんなものである。ところが、そのうち、ひとりで考えても分からないことが出てくる。「さっき、ボールがバットに当たって後ろに飛んだ時、画面のＳという文字の横に〇がひとつ増えたけど、今度は増えなかったよ。」父に聞いていた。答えは、「Ｓというところには、ボールが当って後ろに飛んだ時には、２つまでは〇が付くんだよ。」なるほど、少しずつ野球が分かり、好きになっていった。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;当時、プロ野球は、ＮＨＫを除くほとんどのチャンネルで同時に巨人戦を放送していたというのが、私の記憶であるが、今では考えられないことである。そして、そこには、必ず長嶋茂雄がいた。必ず、何かをしてくれた。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;ただそんな私でも、当時、長嶋のことを好きだったのかという記憶がない。でも、みんなが好きだった。巨人が好きだった。その勢いで応援した。そして、毎年のごとく優勝し、日本シリーズを制覇していく。あの時の巨人は強かった。そして、Ｖ１０を目指したその年、引退を迎える。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;その日、私が高校から帰ってきたら、自宅には母と姉しかいなかった。とてもこのふたりが、野球番組にチャンネルを合わせるとは思えないのだが、なぜか長嶋の引退試合がブラウン管に映っていた。この日は、ダブルヘッダーで、第一試合が終わった時、長嶋はファンへの最後のあいさつをしたいと球場を一周回った。今まで自分を見て喜んでくれたファンへの最後のサービスのお返しである。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;そして、最後の打球が飛び、ゲームセット。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;最終回、カメラマンは長嶋しか追っていなかった。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;長い間お疲れ様。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;徐々に夕日に包まれていく後楽園球場の中で、、、&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;「昭和３３年、栄光の読売巨人軍入団以来１７年間・・・・&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;　我が巨人軍は、永久に不滅です。」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;涙が止まらなかった。母も泣いた。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;長嶋の「体力の限界を知るにいたり、、、」の言葉の後、「&lt;strong&gt;まだいけるよ～。&lt;/strong&gt;」とのファンの声援が今も耳に残っている。&lt;/span&gt;</description> 
      <link>https://mymemory.bangofan.com/e.%E4%B8%89%E5%A1%81%E6%89%8B%E7%B7%A8/%E8%AA%B0%E3%82%82%E3%81%8C%E6%B3%A3%E3%81%84%E3%81%9F%E9%95%B7%E5%B6%8B%E8%8C%82%E9%9B%84%E3%81%AE%E5%BC%95%E9%80%80%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC</link> 
    </item>
    <item>
      <title>ハンク・アーロンと３・４番を争っていたＤジョンソン</title>
      <description>&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;デーブ・ジョンソンは、かの長嶋巨人の１年目に大リーグより来日し、２年間、読売ジャイアンツで活躍した選手である。１年目は、長嶋の抜けた３塁のホットコーナーを守り、や、守らさせ、実力を十分に発揮できないでいた。当時の周りの話を回顧すると、日本人の投手の投球に合わせるため、バッティングフォームを改造させたことが、調子を出すことができなかった一因であるというようなことを何かで読んでことがある。なかなか打てなくて、代打を出され、ベンチに引っ込まされ、悲しい顔をしてたジョンソンの姿は今でも脳裏に焼き付いている。マスコミは、そのような状態を見て、ジョン損とか揶揄していたものでした。そんな状態でも、その年のシーズン後半には、調子を取り戻し、ホームランも出始めていた。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;そして、来日２年目を迎えるわけですが、この年の読売は、開幕早々に読売打線が爆発し、打ち勝つ試合ばかりだった。１４連勝、１３連勝を記録したのもこの年ではなかったかな。もっとも、日本ハムから張本勲を獲得し、３番張本、４番王がクリーンナップにいれば、それも当然だと思われた。この読売は、シーズンの夏ぐらいまでは、１番バッターから６番バッターまでが、３割打者だったのを覚えている。言い忘れてならないのは、この年、ジョンソンは、三塁手から二塁手へとコンバーとされている。やはり、守りなれた守備に戻ったのが、調子を取り戻す要因となったのでしょう。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;シーズン中には、欠場した王に代わって一塁を守り、自らもツーランホームンを放ち、お立ち台にも上がったことがあった。そして、優勝のかかった広島球場の最終戦、王が同点ホームランを放ち、末次凡退の後、ジョンソンがレフトスタンド最上段へ決勝のホームランを打ったのは圧巻だった。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;ジョンソンをめぐるエピソードとして、今も覚えているのは、ジョンソンが後方へファウルを打った後、テレビを見ていた私は、「ドガン」というものすごい音が聞こえて、なんだろうと思っていたら、数分して、アナウンサーが、「い、今、ジョ、ジョンソン選手の打球が放送席に飛び込んでまいりまして、私の胸に当たり、一時、呼吸困難を起こしました。」と放送していました。当時、解説者をやっていた森昌彦さんは、「デッドボールの痛さが分かったでしょう？」と言っていたのを覚えている。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;その年、日本シリーズで阪急と戦うわけですが、３連敗の後、４連勝とはいかずに敗れてしまいました。ただ、このシリーズの第６戦の７－０から逆転した試合だけは野球ファンなら誰でも見ごたえがあったと感じたはずです。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;長嶋監督のＶ１が達成されたこの年で、ジョンソンは日本を去っていってしまいますが、その後ジョンソンは、大リーグに戻り、フィラデルフィアフィリーズで、代打逆転満塁ホームランを２本打ったと聞きます。この記録は、大リーグでも珍しい記録だといいます。そして、しばらくはこの大リーグで、現役を続けていたのですが、４年間でピリオドを打っています。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;その次にのジョンソンのことを知るのは、大リーグの監督になり、ワールドシリーズを優勝して、日米野球の監督となった時でした。ベンチには、少し年をとったとはいえ、あの顔がありました。当時は、今みたいに、大リーグの情報はなく、日本選手も向こうへ行くことはなく、時々見る大リーグ珍プレー&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;好プレーぐらいでした。そういえば、日米野球ＯＢ戦というのもあり、ジョンソンも来日していましたね。かなり活躍していたんじゃなかったかな？&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>https://mymemory.bangofan.com/d.%E4%BA%8C%E5%A1%81%E6%89%8B%E7%B7%A8/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%81%A8%EF%BC%93%E3%83%BB%EF%BC%94%E7%95%AA%E3%82%92%E4%BA%89%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%EF%BC%A4%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3</link> 
    </item>
    <item>
      <title>連続ゴールデングラブ賞を受賞した王貞治</title>
      <description>&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;王さんというと必ず思い出すのが、ＣＭに出ている時のあのしゃべり方である。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;「亀谷万年堂のナボナはやっぱりお菓子のホームラン王です。」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;「野球用品はゼネラルだよ。」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;「土井をよろしく。カメラのドイ。」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;現役時代の活躍よりもまず、あのＣＭのたどたどしい話しぶりを思い出すのは私だけかもしれない。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;但し、ジャイアンツ選手の多くが参加したオロナミンＣのＣＭには、王選手はいませんでした。なぜか？　それは、リポビタンＤのＣＭに出ていたからです。や、と思う。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;記録や偉大さを語るには、はばかられるぐらいの選手であるので、あえてこのような話からはいることにしました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;記録の中でも、やはりあのホームランの記録は私の頭に焼き付いて離れません。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;私の記憶によれば、王さんは、７００号を打つ前あたりが、一番プレッシャーのかかっていましたね。確か、テレビの生放送では放送されなくて、翌日のプロ野球中継の頭でＶＴＲを流したと思います。このころから、私が気なっていたことの一つに、王選手の腕の位置でした。今までは、同じ高さの位置にあったのに、このころから、足を上げる瞬間に腕が下がり始めていました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;その後、ベーブ・ルースの記録を抜く７１５号の時は、打った瞬間に満面笑みでバッターボックス内で飛び上がっていました。この打球は、ライトのポール脇の金属ネットに当って、グラウンドに戻ってきました。生放送で見ながら私も飛び上がったのを覚えています。阪神戦で抑えに出てきた山本和幸が投手でしたね。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;さらに、ハンク・アーロンの世界記録を抜く７５６号を打つわけですが、あの時のベース一周を回る時の時間は、おそらく史上最長ではないかと思いましたね。また、これも生放送の中継には入っていなかったですね。放送開始前（１９：００より前）に飛び出しましたね。私は、この時ラジオを聞いていましたが、打った瞬間に球場内にどよめきと歓声が広がり、放送どころではありませんでしたね。数分経ち、やや興奮が治まってきたころに、アナウンサーが「今、放送席にいらっしゃいます荒川さんの目にも涙が浮かんでいます。」と言ったのを覚えています。そうですよね。一本足打法の生みの親ですもんね。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;そして、最終的に８６８本の世界記録を達成して、引退をしてしまうわけですが、なぜか、シーズン中でなくシーズン後に引退宣言をしました。そして、臨時ニュースの速報テロップが流れましたね。８６８号は、大記録であったけれども、もしこの年に引退をすると、事前に通知しておけば、このホームラン記録というのは、もっとみんなの記憶に残るものになっていたのではないかと思います。なぜって？この年引退すると分かっていたら、いつその世界記録が出るか分からないから、常にカメラ・マスコミなどがかじりついて記録に収めようとしたはずであるから。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>https://mymemory.bangofan.com/c.%E4%B8%80%E5%A1%81%E6%89%8B%E7%B7%A8/%E9%80%A3%E7%B6%9A%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%96%E8%B3%9E%E3%82%92%E5%8F%97%E8%B3%9E%E3%81%97%E3%81%9F%E7%8E%8B%E8%B2%9E%E6%B2%BB</link> 
    </item>
    <item>
      <title>阪神にドラフト拒否された古田敦也</title>
      <description>&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;９０年代のヤクルトスワローズの黄金期は、この人なしには語れない。&lt;strong&gt;古田敦也　&lt;/strong&gt;立命館大学を出て、ドラフト指名されるかと思いきや、社会人トヨタ自動車に入社。２年間そこで頑張った末、ようやくプロへ、、、大学で４年、社会人野球で２年の６年間も非プロ野球をしていたのは、若い時期でもあり、非常にもったいないと思うのは私だけではないだろう。もっとも本人が入団を希望していた阪神からは「メガネキャッチャーはだめだ。」の一言で指名されなかったというのも何か皮肉めいた話に聞こえる。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;しかし、そのような遅いプロデビューをしていながら、古田は２０００本安打を打ち、名球会に入ってしまうのである。キャッチャーというハンデのあるポジションでいながら２０００本のホームランを放つのは並大抵のことではないと思うが、一番恐ろしいのはそのキャッチングの技術である。キャッチングがうまいからこそ、盗塁の阻止も絶品の仕上がりになるのである。ボールを取った瞬間には、もうすでに投げる体制になっているのである。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;いつのオールスターだったかは、忘れたが、盗塁を３つ阻止したことがあった。１試合に３つの盗塁阻止が多いか少ないかは、わからないが、夢の球宴である。阻止されたランナーは、まさかという目で古田の方を見ていた。「パにはこんなキャッチャーいないよ。」とでもいいたそうな目だった。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;古田の入団前は、八重樫や秦や飯田などがキャッチャーを務めていたが、古田を名捕手に仕立て上げようという当時の野村監督のこころづもりから、正捕手の道を歩んでいった。ベンチにいる時は、いつも野村監督の前に座らさせられ、ＩＤ野球解説を聞かされていたのを今でも思い出す。そんな中で、ヤクルトの選手たちも成長していき、リーグ優勝を果たした９２年、日本シリーズで森西武と戦うことになるのである。森も捕手出身で伊東というキャッチャーを育て、対する野村も古田を育てた。捕手監督同士のＩＤ決戦シリーズは、熾烈を極めた。この年の日本シリーズも記憶に残るシリーズとなった。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;「古田が夢遊病者のようだ。」とは、当時の野村監督の試合後の談話である。ありとあらゆるデータを頭に詰め込み、戦わなければならないキャッチャーというの非常に気の重くなるポジションでもある。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;特に第６戦の逆転の逆転の逆転の逆転の試合は、もう見ちゃいられない試合だったのを記憶している。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;この６戦はヤクルトが勝利したが、最終戦で西武が勝ち、西武の連覇となった。このシリーズは、負けたけれども、古田にとっては非常に勉強になったシリーズだった。なんせ、翌年のシリーズはまた同一カードとなったけれどもヤクルトがものにしているのだから。それもこれも、このシリーズで成長した古田のリードがさらに光っていた。&lt;/span&gt;</description> 
      <link>https://mymemory.bangofan.com/b.%E6%8D%95%E6%89%8B%E7%B7%A8/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%81%AB%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E6%8B%92%E5%90%A6%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8F%A4%E7%94%B0%E6%95%A6%E4%B9%9F</link> 
    </item>
    <item>
      <title>名球会の目前で引退した松岡弘</title>
      <description>&lt;span style=&quot;color: #000000;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: large;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: small;&quot;&gt;&lt;b&gt;松岡弘&lt;/b&gt;投手を語る時、まずは、名球会のことを話さざるをえない。なんといっても通算勝利数が、１９１勝という名球会の目前で引退をしてしまったのだから、私としては残念でならない。個人の目標に２００勝という記録を心に秘めてマウンドに立つ投手は、数限りないくいるでしょう。でも、ここで諦めるというのは、明らかに人がいいというのが、松岡弘投手を語っている言葉だと思う。&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;color: #000000; font-size: small;&quot; size=&quot;2&quot;&gt;万年ヤクルトスワローズのＢクラスのころから、&lt;b&gt;もろいエース&lt;/b&gt;と言われ続けて１１年目の１９７８年、みごと日本一に輝いた時の喜びは今も私の記憶に残っています。この年の日本シリーズは、前年・前々年と読売ジャイアンツを倒して日本シリーズ３連覇を狙う阪急ブレーブスでした。当時の解説者も、ひとりを除いて阪急有利の予想でした。そのひとりというのは、あの読売ジャイアンツのＶ９を支えた参謀の故牧野氏です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このシリーズ、結果的に４勝３敗でヤクルトが勝って日本一になるのですが、その４勝のすべてに貢献したのがこの松岡弘投手でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;nbsp;第２戦、前日は安田先発で敗戦したヤクルトは、エースの松岡の先発でした。本調子とは言えない状況でしたが、味方打線が２桁得点をあげ、雨の中で井原投手の救援を仰ぎましたが、勝利投手となりました。 第４戦、前日阪急の足立投手完封お立ち台のインタビュー「もう日本シリーズは西宮で終わりますよ。」に憤ったヤクルトベンチは、再度安田投手を先発させますが、前半に大量リードを奪われノックアウト。その後、リリーフを送り阪急の攻撃を抑え込んで、ワンチャンスをものにして１点差まで追いついた９回の表、ツーアウトから切込隊長のヒルトンが左翼席へ逆転の２ランホームラン。その裏、リリーフに登板しセーブをものにしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第５戦、「後楽園へ戻れる（この年神宮球場は六大学野球で使われていた）」という現実を目の当たりにしたヤクルトスワローズベンチは、ペナントレース３勝の梶間を奇襲先発、左投手の横手投げの緩いカーブが阪急打線にタイミングが合わず、４回途中まで０封、その後少しづつ得点をあげたヤクルトスワローズは、中継ぎに井原投手、そして抑えに松岡を起用して勝利、２セーブ目を挙げました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第７戦、第６戦を白石投手の完投でものにした阪急は、第３戦完封した足立投手を先発させました。両軍ともに最高の仕上がりを持つ投手戦は、ヒルトンの内野安打で均衡が破れ、ヤクルトリード、そしてあの大杉選手のレフトポール際のホームラン。阪急上田監督の猛抗議で１時間１９分も試合が中断しました。当然抗議は通らず、試合は続行。マニエルの連続ホームラン、大杉の念押しのホームランで、４点を挙げたヤクルトスワローズが、勝利しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この日本シリーズの最終戦で一番すごいと思ったのが、１時間１９分の中断にも拘らずに、投げ続けた松岡弘投手の心意気というか気概でした。当時の解説者が、中断後「いやぁ、この松岡はダブルヘッダーの第２試合を投げるようなもんでしょう。」と言ったか言わなかったか。さらに、「まるで何かに憑りつかれているような投げっぷりですな。」「中断前後の投球内容が変わらない。むしろ、調子が上がったようだ。」皮肉にも、阪急の足立投手は、肩が冷え切ってしまい、降板を余儀なくされました。 試合後のインタビューで、「今まではもろいエースなどと言われてきましたが、、、」と言い過ぎて冷や汗をかいたアナウンサーに、松岡弘投手は、苦笑いしながら「や、それはね。それはね。もうこの際返上しますよ。」と本当にいい笑顔で答えていました。それは、本当に人のよさそうな顔でした。&lt;/span&gt;</description> 
      <link>https://mymemory.bangofan.com/a.%E6%8A%95%E6%89%8B%E7%B7%A8/%E5%90%8D%E7%90%83%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%9B%AE%E5%89%8D%E3%81%A7%E5%BC%95%E9%80%80%E3%81%97%E3%81%9F%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E5%BC%98</link> 
    </item>

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