プロ野球 私の記憶
野球好きの私が、いつのころからかプロ野球を見なくなり、たまに見ても、現役で活躍している選手よりも監督やコーチや解説者の方が誰だかわかるような年になってきた今日このごろ。その昔、野球と格闘し私を興奮させてきたあの選手たちを今でも思い出します。そして、若かったあの時の興奮の記憶は、50代の半ばになった今でも時々私の脳裏をかすめます。このブログは、そんな感情を共有できる私と同年代のおやじたち、また自分自身の備忘録として綴っていきたいと思います。
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名球会の目前で引退した松岡弘
松岡弘
投手を語る時、まずは、名球会のことを話さざるをえない。なんといっても通算勝利数が、191勝という名球会の目前で引退をしてしまったのだから、私としては残念でならない。個人の目標に200勝という記録を心に秘めてマウンドに立つ投手は、数限りないくいるでしょう。でも、ここで諦めるというのは、明らかに人がいいというのが、松岡弘投手を語っている言葉だと思う。
万年ヤクルトスワローズのBクラスのころから、
もろいエース
と言われ続けて11年目の1978年、みごと日本一に輝いた時の喜びは今も私の記憶に残っています。この年の日本シリーズは、前年・前々年と読売ジャイアンツを倒して日本シリーズ3連覇を狙う阪急ブレーブスでした。当時の解説者も、ひとりを除いて阪急有利の予想でした。そのひとりというのは、あの読売ジャイアンツのV9を支えた参謀の故牧野氏です。
このシリーズ、結果的に4勝3敗でヤクルトが勝って日本一になるのですが、その4勝のすべてに貢献したのがこの松岡弘投手でした。
第2戦、前日は安田先発で敗戦したヤクルトは、エースの松岡の先発でした。本調子とは言えない状況でしたが、味方打線が2桁得点をあげ、雨の中で井原投手の救援を仰ぎましたが、勝利投手となりました。 第4戦、前日阪急の足立投手完封お立ち台のインタビュー「もう日本シリーズは西宮で終わりますよ。」に憤ったヤクルトベンチは、再度安田投手を先発させますが、前半に大量リードを奪われノックアウト。その後、リリーフを送り阪急の攻撃を抑え込んで、ワンチャンスをものにして1点差まで追いついた9回の表、ツーアウトから切込隊長のヒルトンが左翼席へ逆転の2ランホームラン。その裏、リリーフに登板しセーブをものにしました。
第5戦、「後楽園へ戻れる(この年神宮球場は六大学野球で使われていた)」という現実を目の当たりにしたヤクルトスワローズベンチは、ペナントレース3勝の梶間を奇襲先発、左投手の横手投げの緩いカーブが阪急打線にタイミングが合わず、4回途中まで0封、その後少しづつ得点をあげたヤクルトスワローズは、中継ぎに井原投手、そして抑えに松岡を起用して勝利、2セーブ目を挙げました。
第7戦、第6戦を白石投手の完投でものにした阪急は、第3戦完封した足立投手を先発させました。両軍ともに最高の仕上がりを持つ投手戦は、ヒルトンの内野安打で均衡が破れ、ヤクルトリード、そしてあの大杉選手のレフトポール際のホームラン。阪急上田監督の猛抗議で1時間19分も試合が中断しました。当然抗議は通らず、試合は続行。マニエルの連続ホームラン、大杉の念押しのホームランで、4点を挙げたヤクルトスワローズが、勝利しました。
この日本シリーズの最終戦で一番すごいと思ったのが、1時間19分の中断にも拘らずに、投げ続けた松岡弘投手の心意気というか気概でした。当時の解説者が、中断後「いやぁ、この松岡はダブルヘッダーの第2試合を投げるようなもんでしょう。」と言ったか言わなかったか。さらに、「まるで何かに憑りつかれているような投げっぷりですな。」「中断前後の投球内容が変わらない。むしろ、調子が上がったようだ。」皮肉にも、阪急の足立投手は、肩が冷え切ってしまい、降板を余儀なくされました。 試合後のインタビューで、「今まではもろいエースなどと言われてきましたが、、、」と言い過ぎて冷や汗をかいたアナウンサーに、松岡弘投手は、苦笑いしながら「や、それはね。それはね。もうこの際返上しますよ。」と本当にいい笑顔で答えていました。それは、本当に人のよさそうな顔でした。
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