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プロ野球 私の記憶 野球好きの私が、いつのころからかプロ野球を見なくなり、たまに見ても、現役で活躍している選手よりも監督やコーチや解説者の方が誰だかわかるような年になってきた今日このごろ。その昔、野球と格闘し私を興奮させてきたあの選手たちを今でも思い出します。そして、若かったあの時の興奮の記憶は、50代の半ばになった今でも時々私の脳裏をかすめます。このブログは、そんな感情を共有できる私と同年代のおやじたち、また自分自身の備忘録として綴っていきたいと思います。

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連続ゴールデングラブ賞を受賞した王貞治

王さんというと必ず思い出すのが、CMに出ている時のあのしゃべり方である。
「亀谷万年堂のナボナはやっぱりお菓子のホームラン王です。」
「野球用品はゼネラルだよ。」
「土井をよろしく。カメラのドイ。」
現役時代の活躍よりもまず、あのCMのたどたどしい話しぶりを思い出すのは私だけかもしれない。
但し、ジャイアンツ選手の多くが参加したオロナミンCのCMには、王選手はいませんでした。なぜか? それは、リポビタンDのCMに出ていたからです。や、と思う。
記録や偉大さを語るには、はばかられるぐらいの選手であるので、あえてこのような話からはいることにしました。

記録の中でも、やはりあのホームランの記録は私の頭に焼き付いて離れません。
私の記憶によれば、王さんは、700号を打つ前あたりが、一番プレッシャーのかかっていましたね。確か、テレビの生放送では放送されなくて、翌日のプロ野球中継の頭でVTRを流したと思います。このころから、私が気なっていたことの一つに、王選手の腕の位置でした。今までは、同じ高さの位置にあったのに、このころから、足を上げる瞬間に腕が下がり始めていました。

その後、ベーブ・ルースの記録を抜く715号の時は、打った瞬間に満面笑みでバッターボックス内で飛び上がっていました。この打球は、ライトのポール脇の金属ネットに当って、グラウンドに戻ってきました。生放送で見ながら私も飛び上がったのを覚えています。阪神戦で抑えに出てきた山本和幸が投手でしたね。

さらに、ハンク・アーロンの世界記録を抜く756号を打つわけですが、あの時のベース一周を回る時の時間は、おそらく史上最長ではないかと思いましたね。また、これも生放送の中継には入っていなかったですね。放送開始前(19:00より前)に飛び出しましたね。私は、この時ラジオを聞いていましたが、打った瞬間に球場内にどよめきと歓声が広がり、放送どころではありませんでしたね。数分経ち、やや興奮が治まってきたころに、アナウンサーが「今、放送席にいらっしゃいます荒川さんの目にも涙が浮かんでいます。」と言ったのを覚えています。そうですよね。一本足打法の生みの親ですもんね。

そして、最終的に868本の世界記録を達成して、引退をしてしまうわけですが、なぜか、シーズン中でなくシーズン後に引退宣言をしました。そして、臨時ニュースの速報テロップが流れましたね。868号は、大記録であったけれども、もしこの年に引退をすると、事前に通知しておけば、このホームラン記録というのは、もっとみんなの記憶に残るものになっていたのではないかと思います。なぜって?この年引退すると分かっていたら、いつその世界記録が出るか分からないから、常にカメラ・マスコミなどがかじりついて記録に収めようとしたはずであるから。




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