プロ野球 私の記憶
野球好きの私が、いつのころからかプロ野球を見なくなり、たまに見ても、現役で活躍している選手よりも監督やコーチや解説者の方が誰だかわかるような年になってきた今日このごろ。その昔、野球と格闘し私を興奮させてきたあの選手たちを今でも思い出します。そして、若かったあの時の興奮の記憶は、50代の半ばになった今でも時々私の脳裏をかすめます。このブログは、そんな感情を共有できる私と同年代のおやじたち、また自分自身の備忘録として綴っていきたいと思います。
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ハンク・アーロンと3・4番を争っていたDジョンソン
デーブ・ジョンソンは、かの長嶋巨人の1年目に大リーグより来日し、2年間、読売ジャイアンツで活躍した選手である。1年目は、長嶋の抜けた3塁のホットコーナーを守り、や、守らさせ、実力を十分に発揮できないでいた。当時の周りの話を回顧すると、日本人の投手の投球に合わせるため、バッティングフォームを改造させたことが、調子を出すことができなかった一因であるというようなことを何かで読んでことがある。なかなか打てなくて、代打を出され、ベンチに引っ込まされ、悲しい顔をしてたジョンソンの姿は今でも脳裏に焼き付いている。マスコミは、そのような状態を見て、ジョン損とか揶揄していたものでした。そんな状態でも、その年のシーズン後半には、調子を取り戻し、ホームランも出始めていた。
そして、来日2年目を迎えるわけですが、この年の読売は、開幕早々に読売打線が爆発し、打ち勝つ試合ばかりだった。14連勝、13連勝を記録したのもこの年ではなかったかな。もっとも、日本ハムから張本勲を獲得し、3番張本、4番王がクリーンナップにいれば、それも当然だと思われた。この読売は、シーズンの夏ぐらいまでは、1番バッターから6番バッターまでが、3割打者だったのを覚えている。言い忘れてならないのは、この年、ジョンソンは、三塁手から二塁手へとコンバーとされている。やはり、守りなれた守備に戻ったのが、調子を取り戻す要因となったのでしょう。
シーズン中には、欠場した王に代わって一塁を守り、自らもツーランホームンを放ち、お立ち台にも上がったことがあった。そして、優勝のかかった広島球場の最終戦、王が同点ホームランを放ち、末次凡退の後、ジョンソンがレフトスタンド最上段へ決勝のホームランを打ったのは圧巻だった。
ジョンソンをめぐるエピソードとして、今も覚えているのは、ジョンソンが後方へファウルを打った後、テレビを見ていた私は、「ドガン」というものすごい音が聞こえて、なんだろうと思っていたら、数分して、アナウンサーが、「い、今、ジョ、ジョンソン選手の打球が放送席に飛び込んでまいりまして、私の胸に当たり、一時、呼吸困難を起こしました。」と放送していました。当時、解説者をやっていた森昌彦さんは、「デッドボールの痛さが分かったでしょう?」と言っていたのを覚えている。
その年、日本シリーズで阪急と戦うわけですが、3連敗の後、4連勝とはいかずに敗れてしまいました。ただ、このシリーズの第6戦の7-0から逆転した試合だけは野球ファンなら誰でも見ごたえがあったと感じたはずです。
長嶋監督のV1が達成されたこの年で、ジョンソンは日本を去っていってしまいますが、その後ジョンソンは、大リーグに戻り、フィラデルフィアフィリーズで、代打逆転満塁ホームランを2本打ったと聞きます。この記録は、大リーグでも珍しい記録だといいます。そして、しばらくはこの大リーグで、現役を続けていたのですが、4年間でピリオドを打っています。
その次にのジョンソンのことを知るのは、大リーグの監督になり、ワールドシリーズを優勝して、日米野球の監督となった時でした。ベンチには、少し年をとったとはいえ、あの顔がありました。当時は、今みたいに、大リーグの情報はなく、日本選手も向こうへ行くことはなく、時々見る大リーグ珍プレー
好プレーぐらいでした。そういえば、日米野球OB戦というのもあり、ジョンソンも来日していましたね。かなり活躍していたんじゃなかったかな?
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